2014年12月号
イサドラ・ダンカンの生涯 芯体操代表 津田美智子
アメリカのダンサー、モダンダンスの祖といわれているイサドラ・ダンカンは1878年にアイルランド人の両親から生まれました。音楽教師であった母親から音楽の基礎教育を受けて、早くから古典舞踊を習いましたが、その慣習的な動きに満足できず、自分自身の創作する自由な舞踊を考えました。
私がイサドラのことを知ったのは、もう随分前のことですが、映像を撮られるのが嫌いだったために、彼女の踊りは殆ど残っていないのです。少しある姿は、現代の踊りからは当たり前のように映りますが、当時の型にはまったバレエや古典舞踊からは全く破天荒な表現だったことが分かります。
衣裳や靴も常識を覆し(くつがえし)、ギリシャ風のチュニックを用い、裸足で踊ったのですから、驚きです。そんなイサドラも、1927年にフランスのニース近郊で首に巻いたスカーフが自動車の車輪に巻き込まれ転倒して49歳で惨死します。遺灰がパリのベール・ラシェーズ墓地に埋葬されています。
イサドラの舞踊は、即興的な面が多く、一定の理論を持たなかったためにその死と共に途絶えてしまいますが、近代舞踊に多大な影響を与えたことは、高く評価されています。「自然こそ動きの根源である」という言葉は深く私の心に沁みてきます。
からだにトラブルを抱えた私にとって、正しく(まさしく)からだの中と宇宙との融合に他ならない感覚です。レッスンで次から次と生れてくるものは、頭で考えたことではありません。日々のレッスンの瞬間に自然に生まれ来る動きなのです。
ひとつの動きから多くの気付きがあります。「芯体操」は、形を真似ても意味はありません。からだから生まれるエネルギー、気の力を誘導するものです。ですから、お腹、胸を使えるようなからだを創ることが先決です。私に備わった力は説明のつかない感覚です。このからだ遣いが世の中を変えるとさえ思っています。
イサドラ・ダンカンという女性が存在したこと、そして今、私が存在していることがオーバーラップします。
ひとつの気付きが「芯体操」を通じて伝道されることを祈っています。
芯体操の中の日々 八尾教室インストラクター 河田奈津子
寒さが厳しくなってきて、身体もガチガチになりがちですが、私は芯体操を学び、身体のことが少しずつ理解できるようになりました。そして、自分の身体の異変を感じて、ケアできるようになり、身体を暖めたり伸ばしたりするようになりました。
私は劇団音芽に所属しています。ミュージカルは踊ったり歌ったりします。しかし、寒くなるといつもより身体が縮こまります。肩首が固くなると深く息が吸えず、歌いにくくなります。芯体操で学んだストレッチで、身体の芯から伸ばし、芯から広げることによって、息も心地よく入ってくるようになりました。家では、冬は寒くて暖房を入れたりしますが、乾燥して喉がカラカラになります。そんな時、エアコンを切って足の裏や足の甲をさすってほぐすことで、身体がポカポカ暖たかくなり、身体全体も少しほぐれます。省エネにもなっていいなと思います(^^)。
最近は、外から帰ったら必ずしています!毎日ストレッチをして、日々の身体の緊張もほぐすことが大事だと思います!これからますます寒くなっていきますが、芯体操のストレッチをきちんとして、身体を伸ばし、いい年越しを迎えたいと思います!
12年かけて…
編みあがりました!

2003年(上の年賀はがき)から干支が一回りした今年(下、2015年年賀はがき)、
マフラーがやっと編みあがりました(^^)
これらの切手は、同じデザイナーが手掛けられたとのこと。
芯体操もこつこつ続けて、さらに12年後は健康で美しく整った身体になりたいですね。
本多